HARUNA UME

群馬県高崎市、榛名山の麓に広がる梅林の起源は、千年以上も昔に遡ります。
古くから山岳信仰の霊場として崇められてきた榛名神社。その険しい山道を歩む修験者や神職にとって、梅は解毒や殺菌の効果を持つ「薬」であり、厳しい修行を支える「命の糧」でした。
境内に植えられた一株の梅は、神聖な山の恵みとして、人々の健やかな暮らしを願う祈りとともにこの地に根付いたのです。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

戦国の世、梅は「戦略物資」としての役割を担うことになります。

この地を治めた箕輪城主・長野氏は、合戦の際の食中毒予防や疲労回復のため、城郭の周辺や領内に梅の栽培を奨励しました。

最後の城主・長野業盛が散り際に詠んだ辞世の句、「春風に 梅も桜も 散り果てて」という言葉からも、当時からこの地の風景に梅が深く溶け込んでいたことが分かります。
先人たちが生き抜くために選んだその一粒が、現在の広大な梅林の礎となりました。

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

江戸時代に入ると、榛名の梅は「上州名産」として広く世に知れ渡ります。
中山道の宿場町が賑わいを見せる中、保存性の高い梅干しは江戸の町へと運ばれ、庶民の健康を支える食卓の定番となりました。
水はけの良い火山灰土という榛名特有の地質は、雑味がなく、大粒で肉厚な「白加賀(しらかが)」という品種を育むのに最適でした。厳しい冬の「からっ風」さえも、病害虫を防ぐ天然の恩恵となり、梅栽培は地域の揺るぎないアイデンティティとなってゆきました。

明治から昭和にかけて、地域の人々は一株ずつ、丁寧に梅を植え広げてきました。

斜面を埋め尽くす白い花霞は「白銀の海」と称されるようになり、いつしか東日本一の生産量を誇るまでになりました。

それは単なる規模の拡大ではなく、厳しい自然と向き合い、その恩恵を次世代へと繋ごうとした農家たちの、たゆまぬ努力の積み重ね。その営みは、千年の時を超えて今もこの風景の中に息づいています。

榛名の地で受け継がれてきた梅の中でも、
ひときわその名を残してきたのが「白加賀」です。

江戸の加賀藩邸に由来するとされるこの品種は、
大粒で肉厚な果実と、気品ある花を持ち、
古くから加工用として重宝されてきました。

榛名特有の水はけの良い火山灰土と、
冬に吹きつける厳しいからっ風。
その自然環境が、白加賀の持つ資質を引き出し、
雑味のない、澄んだ味わいを育みます。

人の手と風土が重なり合うことで生まれる品質は、
時代を越えて、この地の象徴として受け継がれています。

このページは、榛名の風土と文化を未来へと繋ぐために記しました。

『榛名町誌』(通史編・資料編)
『高崎市史』
『日本果樹種苗史』
高崎市公式サイト「高崎の梅」
農林水産省「aff(あふ)」